凄く忙しい時に限って、完全に自分のフィールド外の雑用が舞い込んでくる。
僕が考える「雑用」と「手足」の一番の違いは、考える範囲の違いだと思うのだ。

例えば社内旅行のしおりを制作することに対して、プランを立てた人間がしおりのラフ案をつくり、それを元に部下に清書させる。これは「手足」だ。
それに対して「今度の旅行のしおりつくっておいて」これは完全に「雑用」だ。

部下が制作に関しての知識や経験を持っていたならばそれはまだなんとかなるだろう。
だが、その指示を与えた部下がそういうことには全くのずぶの素人で、しおりなんて見たこともないし聞いたこともない。なんていうとそれはもう雑用の極みで、これがまたさらに、それ以前に片付けなければならない問題が部下には山積みだったりすると目もあてられない。

上司が何の気なしに乗せた(つもりもないかも知れないが)ちょっとした石が、当の部下にとってはもの凄く重くて、それのせいで今まで着々と計画していた部下自身の「仕事に対して最善の結果を出すプラン」なんてのも重さで崩れ去ってしまうかもしれない。
まあ一般的な会社に行けば普通の話なのだろうけど、仕事の結果に対して自分なりのプライドをもってやっている僕にとっては、単なる障害でしかないわけで。
こういう考え方だから普通の企業なんてのも勤まらないわけで、だけどこういうスタンスをもって仕事をやることが僕の仕事に対する取り組み方なもんだから、こういうことが起こるとやっぱり、好き嫌い以前に「理解してもらえてない悲しみ」の方が強くなるのです。

僕はおこがましくも「仕えるべきだと思った雇用主には、自分の存在を道具になぞらえて説明する」なんていうことをやっているので、言わせてもらうと
・チェーンソーでケーキを切ればケーキそのものが飛び散ってそこらじゅうにぶちまけられちゃう
・耳かきでお風呂のお湯をかき混ぜても丁度いい温度にはならない(時間が経ってぬるくなるだけ)
・携帯電話で釘を打っても、真っ直ぐに打てない(携帯電話も恐らく壊れる)
ということ近い話しなわけで。

これでなによりも怖いのは、携帯電話自身が「自分は携帯電話として必要とされているわけじゃないんだ」と思うアイデンティティの崩壊と、それと共に起こるモチベーションの低下。

Aに対して10の力はあるけど、Bに対しては0の人間と、AにもBにもそれぞれ5の力がある人だったら、やはり後者の方が能力のある人間と評価されるのであろうか。
それとも、Aに対しての10の力をちょっとBに対して割けばよいのだろうか。
それでも「Aに対する10の力」を武器としている人間にとっては「自分が思う武器(魅力)をそぐことが目的なのだろうか」という疑問が浮かぶわけで、それと同時にこういうことをつらつらと考えている自分を客観視して、改めて「社会にうまく溶け込める柔軟性がないなあ」と認識するのでした。
きっとコレへの対論としては「Aに対して10の力を維持したままBに対する力をつけていけばいい」なのだろうけど、能力の評価と言う行為そのものが相対的に比べる行為に他ならないので論外。
何が論外って言ってしまえば、刀をふるう侍が、その刀で彫刻をする行為そのままで、そのとき刀に対して「切れ味を維持したまま、彫刻刀の細やかさを表現すればいいんだよ」と言っているようなものだ。
彫刻をしたいなら、刀を買う金で彫刻刀を買えばいいだけで「人を切ることが目的」な刀を持つ必要性は全くない。そうすれば彫刻刀だけではなく包丁や髭剃りまで買えるかもしれない。

人から見たら些細な話かもしれない、というかきっと些細なことで「そんなの社会に出たら当たり前だよ」と思う人が大多数なはず。だからと言ってマイノリティがマジョリティに搾取されるように、大きなうねりに流されるような恥知らずはやりたくない。

こういうことが起こるとどう対処していいかわからなくなって、このエントリのように自問自答めいたネガティブ思考の悪循環に陥るのが僕のメンタル面の弱さを露呈しているのだけど、今夜はもうモチベーションもクソもないので久しぶりに純粋にネットサーフィンでもするかな。

それにしても昔に比べてネットサーフィンが面白くなくなってきたな。
受動的に情報を受け取るウェブなんて、地図のある迷路みたいなもんだね。

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コメント

ちょこ 2006.03.03

携帯だいじょーぶですか〜?

nic[TypeKey Profile Page] 2006.03.05

>ちょこ
キミの頚椎こそ平気かい?

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