割りと多忙な日々が続き更新はおろか愛するハニーをもかまってあげられず、悶々とした日々を過ごしております。
今日は仕事に対するスタンスといいますか、今の俺主観による仕事のあり方なんぞを考えてみたいと思うわけでございます。
と言うのも、先日制作している企業サイトに対して「いい出来」と評価をいただき、ああこういう瞬間のために俺は今こういう仕事をしているんだなぁと深く実感したからであって、決して社会に対して物申すとか、成功する秘訣とか(俺が成功していない)を長々と講釈たれようなどとは考えておりません。

去年の今頃にはもうパソコンを使った仕事に復帰していたわけですが、そもそもなんでまたパソコン業界から一度足を洗ったかといいますと、それはちょいと昔の話からしなければなりません。

当時、定時制だった高校を卒業してすぐに就職した会社はモロエンジニアって感じの会社でして、まぁ今のようにウェブサイトを制作したり、ちょっとしたシステムを組んだりなんてことはなく、そこでやっていた仕事の主は電機回路の設計や改造という、一般の方には想像しづらい仕事でして。
電機回路といいますのは字の如しで「機械を電気で制御する回路」のことでして、この記事で言う狭義の電機回路とはメカトロニクス制御のことを指します。
処理系である電子回路とは名前こそ似てはおりますが全くの別物です。

例えば、導電性の物質(媒体)に電流を流しますと、電機の向きに対して一定方向の磁界が発生します。
この原理を利用したものに、電磁石やソレノイド、リニアモーターなんてのがありますね。
フレミング左手の法則なんて言えば「ああ、よくわかんないけど習ったかもしんない」と思うかもしれません。

電磁石となる媒体に電流を流すことで磁界が発生するのであれば、それはもう「電機制御のできる機械的なスイッチ」を制作するための物理的な条件がそろったことになります。
ご家庭にあります電灯のスイッチなどは指でパチリと点灯(制御)させますが、乱暴に言ってしまえばこの「指でパチリ」を電気の流れで作ってしまうのが電機制御なわけなのですよ。

「指でパチリ」を電機制御で実現するため、先ほど出てきた電磁石を利用したスイッチがあります。
総称はリレー回路やリレースイッチ、もしくは単純にリレーなどといわれています。
これは例えばAB接点に12Vの直流電流を流すことでCD間の接点が開くなどと言う機構を持っているわけです。
こういった部品や、装置の中核となるシーケンサ(CPU)ユニットに対し、何番のアドレスを持つ信号がシーケンサに入力されたので、シーケンサ内部のシーケンスプログラムで処理を施しシーケンサより信号が出力され、その出力により制御が行われる。というのが実際の装置制御の流れなわけですが、なんでこんな話になったんですかね。ああそうだ。仕事の話だ。

高校は電子科だった(情報処理ではない)ので電機制御などわかるはずもなく、入社後半年は社内インフラ&ネットワークの管理や、設計士が使う電機回路図用の回路部品図の一元化など主にパソコン的な仕事の合間に先輩設計士が書いた図面や、仕様書などを使って独学(社内が忙しすぎて誰も教えてくれなかった)で4月の入社から8ヵ月後の12月に初めて設計をし、それが納品され、クライアントから評価を得た瞬間に「ああ俺は一生クリエイティブな仕事をしていこう」と思ったわけです。

その会社は社員の平均年齢がアホみたいに高かった(おじいちゃんレベルが半数)のですが、やけにベンチャー的スタイルの確立していた会社でして、入社してすぐ上司から「お前が会社に利益をもたらそうとしたら月に粗利益でこれだけの金額を稼がなければならないんだ」と言われたことがまずカルチャーショック。会社組織でいきなり自分の会社における立場の確立をするための手段を教わります。
「要するにこの粗利益を出しさえすれば一人前として扱われるってわけだ」と上司は続けます。そして「ってことは納期100時間の仕事を50時間で終わらせれば、残り50時間はお前の成果として自由な時間になる。この時間を利用してスキルアップをするんだ」と言ってどこかにいってしまいました。
社会人として、会社の一員としての礼節や社会的な能力云々なんてものはエンジニアにとっては「あれば便利」という程度のものでしかなく、あくまでもクリエイト!クリエイトさえ輝けば他はダメでもいい!という社風の中のびのびと仕事をしていた俺は、その会社で着々と仕事をこなしていったわけです。

そして21歳になる直前の冬、当時まだ試験段階だったプラズマディスプレイの試験装置を某総合電気製品メーカーと某半導体メーカーと共同で開発していたとき、半導体メーカーの社長(いかにもエンジニアって感じのおっさん)に「そろそろ転職して一気にステップアップしたほうがいいんじゃない?」の一言で火がつき、それまで断っていた某車両メーカーのエンジニアグループへの転職を決めたわけです。
考えてみればこれが生まれてはじめての転職。もう不安で不安で仕方なかったのですが、転職先の上司も何度か仕事での付き合いのあった人で「まぁ知らない間じゃないから大丈夫だろう」なんて思っていたのもつかの間、いきなり勤務地が変わります。
そして追い討ちとなる転勤のお誘い。

当時その会社でやっていたのはバーチャルファクトリーシミュレーション。簡単に言えば「コンピュータの中で仮想的に工場を作り上げて、その工場の制作ラインのパフォーマンスを様々な角度からシミュレーションする」というものでして、当時某海外車両メーカーからの輸入技術として、車業界を救うんじゃなかろうかなんて言われてました。
結局国内にその技術を明確に伝えられる人材がいないので、ちょっとその役買ってみてよ。ということだったわけなのですが、俺の出した転職条件に「職場をコロコロ変えない」ってのがあったのがミソ。
この事態で転職先の会社に対する俺の信用はがた落ちです。

そしてこの頃から感じ始めるあからさまな疎外感。
考えてみりゃ20歳やそこらでエンジニアとして転職してそれこそかなり大きな企業にはいり、車両設計ですので周りはほとんど院卒。いくら車両設計に直接関わっていないとは言え、いきなりわけわかんない小僧が新技術の中核(4人体制で折衝役、CADオペ、シミュレータメーカー出向社員、VF構築(俺))として入ってきたともなればいやらしい目も動くというものでして。

当時の俺には「了見の狭い人間=ダメエンジニア」という図式が確立しており、こんな会社で働いても楽しくないと思った俺は更に転職をするわけです。
とはいえいきなり再転職なんぞできるはずもないので派遣会社に登録をします。
その当時派遣会社の登録には試験をうける必要があるって思っていたのですが、それは俺の登録していた会社だけだったみたいですね。

今までやっていた仕事はパソコンを使っていたとはいえ情報処理的なものではなくあくまでも制御系なわけです。なんてことを話しても派遣会社のエージェントにはわかるはずもなく、パソコン=ITなエージェントは俺をガンガンIT系の仕事に突っ込もうとするわけですよ。
様々な会社との面談をこなし、面白そうな仕事を探していたわけですが、そんな最中に見つかったのが某最大手証券会社の常駐サポセン。
IT系の仕事をしたことがなかったけれど、ビジネスユースのソフトウェアの使用方法などは一応全て網羅しているつもりでしたので、お構い無しに「サポートセンターなら出来ます」と晴れて転職完了。
その証券会社で待ち受けていたものは、サポート待ちの社員でもなければ交換待ちのDATテープでもなかったわけで。証券会社同士の合併に伴う両社のネットワークの統合で戦場のごときサポセン内では、おっさん社員がログオンスクリプトでクライアントの情報を画一的に収集する俺を疎ましく思い、なんと証券会社では命取りとなる為替ネットワークの開放/閉鎖作業のミスを俺のせいにするなんて偉業を成し遂げられまして。

この頃からこういった「あっちいけ」的迫害が最盛期を迎えまして、実績さえ挙げれば待遇のよかった生粋のエンジニア世界から足を洗ってしまったことを悔やむと共に、こんなくだらない足の引っ張りあいをするエセエンジニアの集まるIT業界のなんてくだらないことかと、パソコンを使う仕事から脚を洗ったわけです。

そして、エンジニアから一転バーテンダーへと華麗なる転身を図り、見事酒漬けの毎日を過ごし、肉体的な疲れが精神面にも出てきたところで、心身の健康を求め肉体労働に付き、そこで出会った多くの人とのつながりから「勿体無いからもう一度パソコンを仕事に使いなよ」との言葉をいただき、ここ数年俺のクリエイティブな部分に空いた大きな穴を埋めるべく、もう一度IT業界へと舞い戻ってきたわけです。

ここまで話せばお気づきのとおり、実は俺仕事ではSEも、ウェブデザインも、広く一般で言われているIT系エンジニア的なことを仕事にしたことはなく、独立もクソもなくいきなりのフリーランスです。

そんな俺がIT業界に戻る?にあたって俺が決めたルールはたった一つ。
「人間関係で仕事をする」
以前エンジニアであった日々は実力主義の世界での出来事だとばかり思っていたのだけど、実際には年功序列だったわけで、20代も折り返し地点を過ぎた今の俺にはあの時代にとっぽいことばっかやってた俺を懐かしむ余裕すらあって、改めて思い返してみると「生意気な小僧」だった俺が狙い打ちされるのもわかりきったことだと、今となっては笑い話のひとつ。
だったら今度はとことん「誰かのためにする仕事」にこだわろうと。誰かのためにする仕事であれば、その誰かは俺のエンジニア的にとっぽいところをカバーしてくれるんじゃなかろうかという甘い考えと、せっかく大切な友人に促された復帰なので、いっそ仕事の面白さ云々よりも、その仕事に関わる人との面白いやり取りを期待しようと、こんなルールを作ったわけです。

そして、そんな俺が復帰1年間で様々な人と仕事をし、今ではとても気持ちよく伸び伸びと仕事をさせてもらっています。
仕事の中身も、エンジニア的なものよりも、デザイン的、思想的なものの比重が増えてきたことから「内面を理解しあった上での仕事」が、現在の俺を囲む素晴らしい人間関係よりもたらされています。

仕事上での人間関係をおろそかにして苦労した昔の辛さを思い出すと、今でもはじめての打ち合わせでは極力自分の内面的発言を控えてしまう今の傾向は必ずしもいい結果を生むとは思えませんが、同時に余計な雑音が生まれることもなく、仕事の環境としては大変素晴らしいと思うわけです。

ダイレクトに反響が返ってくるフリーランスでの仕事はやりがいと同時にプレッシャーもかなりのものではありますが、大企業でSEO対策のコード改良だけをひたすらこなす歯車よりは充実しております。
と言うわけで、面白い仕事がしてみたいという方はココまでお気軽にメールください。速攻で打ち合わせにはせ参じます。
一応パソコンを使った仕事であれば、2D、3D関わらずCG以外の仕事であればなんでも相談に乗ります。

短時間でざっと書き上げたのでかなりの乱文ではありますがこの辺で。

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