読みました。面白い。
俺のとても好きな漫画「銃夢(ガンム)」の精神性に凄く共鳴する部分があると思った。
一般人よりも肉体的にはるかに優れる主人公が、聖書にある贖罪の羊よろしく屈強な男と戦う美少女格闘漫画と一言でくくってしまうには余りにもなのですが、久しぶりに文章を書く俺にはうまい説明方法も見つからないので、まぁ読んでみたらどうですかね。
なんてくくりじゃアレなんでちょっと考察ってみる。
「あずみ」は江戸時代はじめ徳川による天下統一がなされた頃の話。
物心がつくかつかないかの頃から山で特殊な戦闘訓練を施された、現代で言うヒットマンの様なことをやる主人公のあずみ。物語上でどのくらいの年月を経たのかわからないけど、回を追うごとに段々と色気が出てきてる。
そんなあずみは冷徹な殺人マシーンと言う訳ではなく、使命である要人の殺人に対しても疑問を抱き、殺すはずのターゲットに対して質問を浴びせて自分なりの回答を見つけ出すような人間くささも持ち合わせている。
それに比べて銃夢はだいぶ先の未来。地球が一度滅びた後のような世界。
そんな退廃した世界を体現するクズ鉄街。そして空に浮かぶ理想郷ザレム。
ザレムからクズ鉄街へと落とされるゴミに埋もれ、静かに200年の時を眠ったガリィ。
やがてゴミから拾い出されたガリィは、失った記憶とともに自分自身を探すたびに出る。
と、主人公の肉体的特長は「強い」こと。
その二人の主人公の目的には大きな差があります。
あずみは「国のために人を殺す」
ガリィは「自分のために人を殺す」
あずみから見た世界には許せない悪人などは存在せず、火花が散るごとく刹那的な人間関係のほとばしりと、江戸時代日本特有の死生観から生まれた、まるで個人の死など庭の枝が折れる程度のことでしかない世界で、平たく言えば「国から見て危険思想を持つ人間を国が秘密裏に暗殺していく」という中、善悪の判断を自身のモラルに委ねる主人公は国という絶対基準を徐々に疑いだしていく。
ガリィから見た世界には許せない悪人を裁く法もなければ国すらも崩壊した世界で、脳以外の身体を機械で構成するサイボーグである主人公は、そんな無法な世界で生身すら持たない主人公は、絶対的な価値観を持てずに「自分とは何か」と自分自身に問い続ける。そんな中、無法世界での唯一の法とも言えるハンターとなった主人公は自分の中に眠る伝説の火星古武術に気づき、強さをアイデンティティとし、技術を自分探しの糧とする。
なんだろう、なにが言いたいんだろう俺は。
要するにこういったテーマの漫画は俺のツボだって言いたいのか。
なんにせよ文章を書くのって疲れるね。
ここらへんで断念したいと、そう強く感じます。
参考
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